「ギターをガン鳴らす姿はカッコ良い。ドラムをドガドガとブッ叩く姿はカッコ良い。ベースをゴリゴリと弾く姿はカッコ良い。キーボードをガシガシと叩く姿はカッコ良い。それが誰であってもカッコ良いことに変わりはないのに、ギターもドラムもベースもキーボードも、ロックが真剣に心底から大好きで、その思いを楽器にぶつけて音楽として引っ張りだそうとしているのだからカッコ良さも何十乗になって伝わってくる。福田宏の『ロックは淑女の嗜みでして』(白泉社)とはそういうマンガだ。演奏しているのが(一応は)生粋のお嬢さまたちで、日ごとは清楚にふるまい上品な言葉遣いで会話をしていながら、ロックに向かうととたんに抑圧が弾け、熱があふれ出して汗が飛び散るギャップがあるからカッコ良いという訳ではない。いや、それもカッコ良さに大きく貢献はしていても、核となるのは音楽への気持ち。それがふんだんにあるからこそ、カッコ良さにシビれてしまうのだ。そんなカッコ良さを最も体現しているのが、主人公でギターの鈴ノ宮りりさではなく、同じ学園に通い親は重鎮の政治家という黒鉄音羽だ。スラリとしたスタイルで黒髪に笑顔を絶やさない顔立ちは誰がどう見てもお嬢さま中のお嬢さま。その音羽が校内の廊下でなぜかピックを落とし、不思議に思ったりりさが近づくと誰も来ない旧校舎でドラムを叩いていた。ヴァイオリンやピアノは嗜んでもギターなんて誰も弾かず、ロックという言葉すら言うことをはばかれる環境で、激しいドラムを叩いていた音羽に誘われりりさはギターをかき鳴らし、それが音羽を刺激してセッションとして盛り上がっていく。そして終わった後ににこやかに讃えなう、なんてことはまったくなく、音羽からは激しくそして卑猥なタームも混じった言葉が飛んでりりさを煽り、応えてやがて二人はセッションを重ねるようになっていき、そこにキーボードの院瀬見ティナやベースの白矢環が加わってバンドとしてライブハウスに出るようになる。ボーカルがいない?音楽を、ロックを心底から楽しみ自分で体現したいと思っているレディたちにボーカルは不要。それぞれがかきならす楽器の交わりこそがロックだという、そのピュアさに妙に引かれてしまう。りりさは母親の再婚でお嬢さまになっただけで、音羽も周囲には黙っていて、環も同様に言えではお嬢さまを演じている。ティナは貴公子然として女子から慕われる立場。そうした日常の偽りをかなぐりすててここだけが自分たちの居場所なんだとすべてを発散しようとしているから、響いてくるのかもしれない。そうした思いを、熱さを激しくてダイナミックなポージングで描いて連ねていく福田宏の筆が、読む人を居ながらにしてライブの場へと引きずり込み、耳に聞こえないインストのロックを浴びせてくる。『ふつうの軽音部』の鳩野ちひろが歌声で魅了するなら、『ロックは淑女の嗜みでして』のロックレディたちはサウンドで圧倒する。どちらが上でも下でもない。どちらも過去から未来における音楽マンガの金字塔と言えるだろう。いよいよアニメ化も決まって実際に響く音は、マンガのロックレディのように観客を、そして読者を震わせられるのか?見守りたい。いや聴き及びたい。」
「出てくるロックナンバーは懐かしくも馴染みのものが多く、音楽好きに突き刺さる。」